Midori in the Sky with Dymamites

自分に都合の悪いことは忘れる党

見つめ合って髪にタッチ

最近のことは「なかったこと」のように
すっかり右から左なのに、20代のことは
昨日のことのようにハッキリ覚えている
という認知症予備軍(むしろ認知症
のミドーヌ(ミドリッチ)です、
どうもこんばんは。
友人のタイムラインにコメント書いて
思い出したのですが。。
わたしが小僧っ子で就職した先は、
地方の中小企業ではなく、
東京(オカチマチー)本社の営業所でした。
※ 退職した1,2年後に本社倒れ倒産しましたが

自身もまだ、小娘だったし、
社員さんたちが皆じぶんより「オトナ」
だった故、男性女性関係なく、
上司や先輩方にはとても可愛がられ、
なかなか楽しい社会人生活を送っていた
ことは覚えています。

個性的な方々はたくさんいらっさいました。
その中で今でも思い出?に残っているのが
美川憲一」と見かけもキャラも被っていた、美川さんです。
姓名不詳、性別不明、年齢不詳、会社内での役割も不詳、という。
当時のわたしの年齢からしたら、
このシト、オバさん?オジさん?みたいな。
しかしながらその美川さんに、
何故か可愛がられ、仕事で辛いことが
あって、わたしが落ち込んでいたりすると、
「みどり、しっかりなさい」と
".壁の後ろから"声をかけてくださったり、
感謝とキモさの交差点←そんな感じでした
わたしが伝票を破いてしまった時には
「"サロンアルファ"を使えば大丈夫。
なんでもくっつくから。」と。
サロンアルファ‥??

一身上の都合から退職を決意し、
先輩方が「送別会」を開催してくださった
のですが、その当日。。。
美川さんが、「わたしは宴会は行かないわ
でもあなたを応援してる」と、
給湯室で「何か」を投げてきました。
怖いのでとりあえずキャッチしましたが
わたしの掴んだモノは、1個の林檎🍎
でした。

ドラマ「ふぞろいの林檎たち」は
就職する前に見ていて好きだったのですが
特に酒屋のお兄さん役の小林薫さん惚れ。
美川(サロンアルファ)の、投げた林檎
をキャッチしてしまった時点で、
わたしの「オトナの夢見がちな物語」は
一瞬で崩壊しました。
変な意味でありがとう、
美川(生きてんのかな?)^ ^

いとおしい

ずっとずっと何かを書きたかったンですが、面倒くさくて放置してました。

すみま線。みドりです、どうもこんんばんは。

 

仕事は3月末日で辞めておりましてん(笑)

理由は、0.03秒で何処かへ行ってしまう子どもちゃんに、

タックルできなかったことです。腕を掴むと脱臼させる恐れがあるので、

胴を掴んでください、と言われていたのに、どうしてもできなくて。。。

奇跡的にタックルできたとしても、

「先生、全然力ないじゃーん♪」と、敢えて引っ張ってくる子とか。

勉強は小学校高学年くらいまでは教えられたのですが、

持病の腰痛と肋間神経痛が酷くなり、体力は限界灘。。。

わたしには、介護や福祉は向いてないなぁ。。。と。

しかしながら、すごく勉強になる現場でありました。

 

3月の末頃になると春休みの関係で夕方勤務→午前~昼過ぎに変わりました。

親御さんたちも子どもさんを連れてどこかへ遊びに行きたいなどの理由が

あったのかしれませんが、利用者さんが少なくなり、少し余裕がありました。

※その前は金曜日は戦場状態で、大学生のアルバイトの子たちも、

 子どもたちが帰ったあとに、目が死んでる という状態。

グレーゾーンの学童保育みたいな施設でも、

1番(多動・衝動・攻撃性強・汚言・3秒ごとに感情がアップダウン)

2番(多動・衝動・汚言・1~2分で感情がアップダウン)

3番(多動・衝動)

その辺りは職員同士に共有されています。

1番については、この春に小学校2年生になる子なので、

一番扱いが難しく、しかもお母さまは外国人

↑この時点で職員とコミュニケーションが難しい。

で、つきたくなかったんですが、最後までつかされることがなくてよかったです。

だって怖いんだもん(笑)

 

2番は、今春から中1(当時は小6)。

その子は汚言が酷く、吐く言葉が全て否定。勉強はしないどころか、

モノは投げるし、気に入らないと奇声を発する。

他の子にちょっかい出して問題を起こす という

「一筋縄ではいかない」子でした。

辞める数日前、初めて「2番君についてくれないか?」と言われ、

「うんー--。なんとかやってみます」と安請け合い。

でも、内心ピーーーンチ!

やってきました2番君。現在中一になっているとしても身体は小柄で

ほぼ小学校2年生くらい。

いつものように「誰とも視線を合わせない・勉強のプリントを破り捨てる」

さぁ、始まりました。イッツショータイム!

「こんな勉強学校でも家でもやってるから、他のプリント持ってこいよ、バカ」

と言うので、正社員さん(私以外は皆教職持ってます)に頼んで、

違うプリントを出してもらいそれを持っていきました。

2番君は小柄なので、集中している時は椅子に正座をしつつ勉強しています。

その間、

『わたしは辞める前に、この子とどうアプローチしていけばいいんだろう』

と考えていました。

で、ちらっとひらめき。。。

小柄な子だと、どうしても「子ども」と思ってしまいます。

が、そうではなくてこの子は勉強もできるし内側はもう「大人」なのだと。

では、対等に向き合ってみようと。そう決心して、

施設の方針は2時間制で1時間は勉強1時間は遊び(療育)だったので、

1時間の療育の中で、この子を子どもだとみなさずに向き合ってみました。

相変わらず汚言は酷いんですが、合間には全然普通に会話ができます。

しかもタブレットの使い方が大人より優れていて。

「今日も自転車で友だちと遊びに行く予定なんだー」と言っていたので、

じゃぁ、道を調べてみたら?と促したら、どこの道をどう通るか、

どの公園に自転車で何十分で着くか、目的地でどれくらい遊べるか、

帰宅までに何十分かかるか。

そんなことを綿密に知れべていました。

次の日にわたしは違う子の担当だったので、あまり時間はありませんでしたが、

「昨日どうだった?」と聞いたら「予定通りいけたよ、友だちも喜んでくれた」

とドヤ顔で答えていました。

『この子は、勉強も出来るけれど多動・攻撃性・汚言←これ一番重症。

そのせいで対人関係が上手くいかないけれど病気(本当に病気です)

でも、誰かの為になりたい・友だちに頼りにされたい』

それが本心なんだな。。。。と感じました。

そこから二日間ほど2番君を担当していなかったのですが、

今まで誰にもしなかったアイコンタクトをやたらとわたしにしてくるのです。

時にはわたしの肩をたたいて、「ねぇねぇ、これ見て」と。

ただ、他の子についているときにそれをされると、

「先生これで遊ぼう♪」と楽しんでいる最中に邪魔されたと感じる子は

「何?あの子?変な子ー」と子どもなりの正直なことも言ってきます。

その全てを所長さんに告げました。

 

そして勤務最終日、2番君の担当をすることに。。。。

規定としては学習+療育で2時間です。

相変わらず、勉強自体を小ばかにしてますが、騒がなかったので好きにさせておきました。10分程度は黙って勉強?していました。

療育時間では、話をしながら「テーブルテニスをしたい」と言うので、

それに沿って遊びました。その間でも結構色々と話しをしました。

「僕、引越すかもしれない」と言うので、「どこに?」と聞いたら、

「しらねーよ」と。「先生なんて生まれてから16回も引越してンのよ」と

言ったら「頭おかしいバカじゃねぇの?」と相変わらずの返答。

ゲームの最中、勝ち負け関係なく、「つまんない、飽きたー!!」と、

ボードゲームを放り投げ、床に寝そべっていたので、わたし本気&演技で

起き上がりなさい。ヒトをなめてんじゃないわよ!!(怒号)

そしたら、速やかに他のところに行ってしまいました。

少ししょげていたY君をプレイルームに戻して、レゴをやりたいと言うので、

しばらく勝手に作らせておきました。(その間色々と会話あり)

1~2分で感情の起伏が見られる子なので、タイミングを読みつつ、

「ねぇ、先生今日でお仕事終わりなの。明日からは来ないの。

2番君と会うのも今日で最後なのよ」と言ったら、

「え?17回目の引っ越しなの?バカじゃねぇ?〇ぬんじゃないの?」

小一時間前に16回と言ってたのを覚えていたのには驚きました。

グッタイミン!少し身体を近づけながら、「ねぇ2番君、約束してくれる?

1つめは、ここにいる間は先生たちの言うことを素直に聞く

2つめは大きな声でキーキー騒いだりしない

3つめは暴れたりモノを投げたりしない

頭のイイ君ならわかるよね?」と伝えました。

「しらねーよ。ぜー-----んぶしない。できない。やりたくない!!」

予想通りの言葉が返ってきました。

しかし、いつも帰り際に支度をしない2番君が、自身でとっとと帰り支度をし、

わたしに「また会う日まで~!!」と言ってきました。

こもれまさにグッチャーーンス!!

玄関で、握手をしながら「先生と今日約束したこと、ずっと守ってね」

と言ったら、うなづくでもなく話すでもなく向こうが手を離さないンですよ。

握った手をなかなか離そうとしない。。。

わたしから手を離して階段で見送りました。

その経緯も全て所長さんに告げました。

「約束はしたけれど一筋縄ではいかない子だとはわかっています。

また元の木阿弥になる可能性はあると思います。」と。

「でも〇〇さん(わたし)の対応が彼の心にはかなり響いていると思います」

涙を抑えることで必死でしたが、当日は次の子の療育があったので

溢れそうな涙も引っ込みました(笑)

 

何の障がいがなくても、人って生きてる限り「生きにくい」です。

命が尽きるまで、生きにくさを抱えてゆかなければならないのです。

子どもの頃から障がいがある場合は、もっと辛いと思います。

 

現在中一になっている2番君の、目を合わせつつギュっと離そうとしなかった

手の温かさを、わたしは一生忘れることはないと思います。

 

 

 

 

にちにちこれこうじつ

わけもわからず、「事務職」で入ったところで、
グレーゾーンの子ども(小学校高学年~中学1年程度)に、
勉強を教えなくてはならなくなり、しかも個々に合わせた
療育をして欲しい、と。(人手不足とは言え無茶ぶり過ぎ!)
まだ10日間くらいしか経験してませんが、
オバたん、体力的にはキツいけど、
脳みそ的にはまだイケるかなぁー・・・?と微妙なところを
行ったり来たりしています(主観)

あ?最初の約束と違うので辞意は表明済みです。

実務の話↓

正直、低学齢なのに多弁・多動・衝動的かつ攻撃的
全ての事柄や人に対して否定的態度を
見せるお子はめっちゃ怖いです。
まぁ、それはそれで置いておいて。。。

 

3月11日(月)に、ある男の子(小学1年生)が
勉強をする前に言っていました。
「今日は絶対忘れてはいけない日なんだよね」と。
「〇〇君はその時にまだ生まれていなかったけど、
よく知ってるねぇー」と言ったら、
「お父さんとお母さんから聞いたんだ」と。
オバたん、思わず潤む目頭を抑えつつ、
「さぁ、お勉強しましょう♪」と対応しました。

 

子どもに教えられることって、たくさんあるのですね。

 

昨晩も大きな地震がありました。
人間が尊大になり過ぎたのか、自然災害のことって時間が経つと意外と忘れがちです。
でも忘れないで欲しいのは、

「先ずは自身の命を守る」
ということ。

人間が生きてから死ぬまでなんて間はきっと「ちっぽけ」です。
ただ「ちっぽけ」だから、「ちっぽけさん」

までになんとか良い方向に繋ぐ”ことは

できるとはできると思います。

"ちっぽけ"な自分について、

肯定も否定もせず、
ただ明日も良い空を見つめて、

佳い日を過ごしましょう^^

「大げさ」のほうが良いこと

あいかーらず無知ミドリーヌです、どうもこんばんは。
明日は晴れるかなぁ~♪と歌いたいところですが、
おそらく明日はみぞれか雪です。
今わたしが住んでいるところは、埼玉県の春日部市ですが、
南岸低気圧がかかるかかからないか、おそらく毎年微妙な
ラインな場所だと思います。
此処に来てから2年と数カ月くらいしか経っていないのですが、
多分、積もったり凍ったりはしないと思います。
職場が越谷なので天候はあまり変わらないと思います。
意外と23区危ないかも・・・。みたいな。
単に、今現在の見立てですが。
わたしは東京生まれですが、静岡市(家康公が隠居したところ)
に住んでいたことが、一番長く、
静岡市では、真冬でも『ありえないような冗談を』言うと、
『明日雪降るね』と。それが冗談というより、
それがフツーだと思ってました。
が!!八王子(しかも高尾山に近いところ)
一回でも雪降ったら、ずっとアイスバーンなのよん。
テレビジョンヌでやってる札幌の雪とは、
また異質。むしろ悪質(笑)
東日本大震災から、「津波・台風・洪水・雪(その他諸々)
について、少し大げさに思うような
アラート、報道やネットニュースでやってますけど、
わたし個人としては、
「大げさ」なくらいの方がイイと思います。
ましてや疫病の関係もありますし、雪で転倒して本当に命の
危険性も危ぶまれるような状態であっても救急車を呼ぶことが
たまたまできても搬送先もないことも考慮しつつ。
明日の雪には気をつけましょう。
こんなに備えておいたけれども、
結局たいしたことなくてよかったね。
↑そっちに期待しつつ^^
 
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愛は根を張る‥サヨナラ‥え?

夫が「フランスではオマクロン株が

凄いことになってるらしいね」と

真顔で言っていたので、

もうマンソンの一階から

飛び降りたくなりました(哀)

みどりです、どうもこんばんは。


いやはや、寒いですね。

人生で16箇所目の所に住んでいるのですが

こちらは南岸低気圧にかかることは

滅多に無いのでセーフ。

でも関東平野特有の風が強く、

実際の気温よりも寒く感じます。

9.5年間住んで通っていた場所の

寒さが10としたら、こちらは「今のところ」ですが、1.5くらい。

正直、シヤワセ😌


関東なのに、

寝てる間に雪積もる(50cm超え)

ンなところには二度と住みたくないです。

雪かきは得意だったのですが、

後から己の顔面を見たら腫れ上がって

真っ黒。

ようは雪やけだったのでしょう(´・_・`)


雪に限らず、全ての天災に対して

「先ず自身の命を守る行動を」

それが基本だと思います。


話は変わりますが、

わたしの名前が「緑」であるからか、

植物とはずっと相性が悪く‥

↑お前の手入れ悪いンだろ?


それでも昨年から賃貸マンションの

室内でそこそこ生きてくれている

「緑」には癒されてます。

でもなんかビミョーな部分が所々💦

写真には入っていませんが、

玄関には耐寒性のあるサンスベリア

暗いキッチンには放っておけば

勝手に育つポトス&水耕のポトス。

真冬なのに、土が少ないのに、

陽も少ないのに、水耕と鉢植えの

ポトスが育ちまくり中。無駄に増殖中(謎)

とりあえず春になったらそれぞれに

合ったかたちで植え替えする予定です。


未だに植物に対しては、長く育てる自信は

ないのですが、愛してます。

※ 海は死にます?山は死にますか?

 ガジュマルは完全に真夏に

 死にました(合掌)f:id:midorichmaguro:20220114014706j:plain

諦めましょう

日曜に墓参り(八王子→川口)に行き、

帰りに友達の家に寄り、昼間から呑んでしまった

何処にも族してないひとりメンバーです。

みドりです、どうもこんばんは。

 

 

SNSなんて言葉が発生したのが、いつだったか?

ほんの最近に思える今日この頃。

「ブログ」という単語にも違和感マシマシだった

かつて‥。

わたしはネット難民でした。

 

太古の昔、Yahooジオシティーズに登録してみて

何をしたいのかもわからないまま、

テレホタイムで「なんかする」

結局何をしたいのかわからないまま、

使ってみて「あぁー、そんな感じね」みたいな。

ピーピー鳴るモデムから離れてブロードバンドで

サックサク♫ってことでネットサーフィンで

メモライズという日記サイトを見つけたので

そこで登録してみて、使い心地が良かったので

有料会員になって(年払いだったのかな?)

なんか昔すぎて細かいことは忘れましたが、

テキトーにテキスト書きつつ、読みつつ

のらりくらりと遊んでました。

何を軸に書いてたのかも忘れてしまいました。

多分、毒にも薬にもならないような、

内容空っぽのだらだら書き。

仕事から帰ってきたある日、アクセスカウンター

が異常値を示していたのとbbsが勝手に荒れていた

のに仰天して、リンク元を見たら普段から

全く興味のなかった"2ちゃんねる"だったので、

怖くなって即bbsは封鎖して、

トップページに「お帰りはこちら」と

2ちゃんねるのURLを置いておきました。

ここは酷い(ではなく)凄いインターネットですね!

みたいにびっくりした覚えがあります。

2ちゃんのカテゴリは不倫板だったと思います

(当時、今の旦那と婚姻状態だったので)

怖くてあまり読んでませんが、

「みドりって、不倫ちゃんじゃなくて電波系」

という意見が多くて、なんか消えたっぽいです。

こっわーっーーー!!

にちゃんねる、こっわーーーっ!!

と思いつつ、少数でも愚文を読みにきて

くださってる人が恋しくてbbs解放。

で、地味に日記は続けてたんですが、

またまたある日仕事から帰って来た夜、

年払いだったのかな?が、前払い分の

お金を根こそぎ取られていて

「○イブドアブログの方に移行してください」

のアナウンスのみ。

‥意味わがんね。

そこからネット難民生活が始まりました。

お金のこととなると必死になりますよ。

数千円だったと思うけど「盗られた」気分。

 

 

招待制でなければ入れなかったmixiにとりあえず

登録。同じく招待制の「キヌガサ」なんて

ところもあったなぁー。

テキスト書くのが面倒だったらリアルタイムで

喋ればいい‥というYahooチャットで遊びまくり。

15,6年前は色々と緩かったです。

でも楽しかったかな(^^)

 

 

 

SNSでの誹謗中傷を受け止めまくって

傷ついてしんどくなるなんてナンセンスですよ。

 

 

ツールとして使い勝手が個人的に最初から

苦手だったFacebookは見るだけにしてます。

Twitterだって、「公式」マーク増えて

言ったもん勝ち みたいな。

プロモも、もやしか雪国舞茸のごとく

ニョッキにょき生えてインプットが

し難くなっちゃった。

インスタgmはそもそもやってませんが

「バエ」ってもうそんなに続かない

んじゃないかなぁ蠅。

 

 

多かれ少なかれ、どんなツールを使っても

アウトプットすれば誰かに叩かれるんですよ。

ネット云々ではなく日常生活でも同じ。

 

 

心が弱い‥?誰も同じ。

わたしも何度死にはぐったかはわかりません。

病気だったり、自分の衝動的な行動だったり。

無意識の時もありました。

でも、なんか生きてる。

究極、

生きてる方がありがたい!

と言いたいところですが、

本音は辛い。

 

 

ポジティブに生きようよ!

↑それもアリだと思うけど個人的にはヒくし

ネガティブな生き方だっていいじゃん?

それでも自身や社会と向き合って

疲れて死にたくなった時には、

夜にちょいと窓を開けて空気を入れ替えたり

それが不都合であれば、屋外に出て2分くらいでも

見られるならば空を見ましょう。

 

 

人間も自然の一部

ポジティブでもネガティブでもなく、

「生きてる」って凄く"シンプル"なことだと

思います。

そのシンプルなことに敬意を払いつつ、

辛いけど仕方がないと諦めて。

 

 

 

あ、なんか長くなってしまって

自分でも鬱陶しいですし、

思うがママに書いてしまってごめんなすって。

 

 

 

ではまたヌーン☆

いまをいきる

日記って、何を絞って書くか?

昔は迷わなかったのですが、

今は「絞れない」迷ネーズです。

いぁ、マヨネーゼです(何?)です、

みドりです、どうもこんばんは。

 

 

7月が真っ暗過ぎて死んだふりしてました。

8月になってからは暑くても元気です。

が、が!が!!「無職」は相変わらず、

エブリディがホリディ★

”専業主婦”ってのに飽きてから、もう半年以上。。。嗚呼。

9月の一週目でハロワでお金貰えるのが終了で、

今必死に就活(web上でしかできない)中なんですが、

派遣登録しつつ、希望の職場に

「エントリした途端に瞬殺」ってなんなのよー(笑)

かれこれ50社以上に瞬殺されてます(微笑)

コロナも含め、自分のステータスや年齢考えたら、

まぁ、そんなもんかなぁ。

切羽詰まった時にはナンとか考えましょう。

「呑気は元気」とも言いましょう

↑誰も言ってないし今わたしが考えた言葉。

 

子どもの頃(中学生くらいの)には、

なりたい職業があったンですがねぇ。。。

もはや、「呼吸してるだけ」とは!(笑)

でも何故か、現在53歳の時点で、

「わたしは幸せだ」と思ってます。

「幸せだった」か否かはわかりませんが。

過去が自分の今を創っているとしたら、

わたしは、本当にラッキーで幸せモンだと思います。

 

事由はわからないのですが、

「壮絶だった」過去もあります。

それを今書いてみてもいいんですが、

面倒くさいので今夜は割愛します。

「壮絶だった」事を少し整理して、

自分以外の誰か、人の為になるようになるまで、

自分の中で暖めてからそのうち卵産みます

コケッコー。

 

誰の”今”も”過去”に起因している部分が

あるのは事実ですが、

とりあえず、”今”を生きましょうね。